埼玉の中学校での事件について思うこと ~自分が加害者にならないために~
こんにちは。
テレビを見ていても、最近、あんまりいいニュースがないですが、
そんな中でも、今、話題になっている、埼玉の中学校での事件。
まだ、詳しいことはわかってはいませんが、犯人とされる少年が、「誰でもいいから人を殺したいと思った」と供述しているそうですね。
この世に生を受けて、ほんの10年数年足らずで、
どうして、「人を殺したい」という衝動に駆られるまでの心境になったんでしょうか。
今後の事情聴取で、なにか明らかになってくるかもしれませんが。
たとえば、壮絶ないじめをうけ、その相手に対して恨みを抱いて殺意を抱くとか、
虐待など受けていたり、将来に悲観して自殺するとかなら、ある程度理解の及ぶ範囲ですが、「だれでもいいから」という考えになってしまうのは、正直、理解不能です。
自暴自棄になり、自分の人生を終わらせたいと思ったんでしょうか。
私も40年以上生きてきて、これまでに、仕事や対人関係でうまくいかなかったり、自分自身に対する劣等感、先のみえない将来、などの悩みで、一時期生きていてもしょうがないと思っていました。
それでも、現実に不満を抱きながらでも、なんとなく生きてきて、自分の将来に対し、諦め半分、期待もすこし持ちつつ、現在は、細々と平凡な日々を暮らせることの幸せをかみしめることができるようになっています。
ただ、私も、どこかで一歩足を踏み外し、自暴自棄になり、正常な精神状態から逸脱し「だれでもいいから」というこの事件の少年のような暴挙に出てしまっていたかもしれない。
そんなリスクは誰しもが隠し持っているのではないかと思います。
それを押しとどめているのは、やはり自分以外の他人、コミュニティーの存在だと思います。
家族や、友人、職場の仲間、仕事上で付き合う人(私なら患者さん達でしょう)、
それにご近所のおじちゃんやおばちゃん、ネット上での人との繋がりもその一つかもしれません。
そのような他人との繋がりがなく、孤独で悩み続けることが一番危険だと思います。
自分の過去を振り返っても、うちに籠り、社会との接点を絶っていた時は、何をするにもネガティブな考えしか浮かばなかった。
自分自身が正常な精神状態で、小さな幸せを感じ生きていくために、過度に孤独にならず、社会とのつながりを保っていくことを意識していかなければならないと思います。
歳をとるにつれ、仕事をしている時はいいですが、引退した後のことを考えると、仕事以外のコミュニティーでの自分の居場所を作っておくことが、今の自分に大切なことかなと感じます。
このブログを通して、読者の方々とも、そのような関係性を築ければいいなと思います。
今後ともよろしくお願いします。
ありがとうございました。
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